運だけ研究生活

渦鞭毛藻、略して「うずべん」を研究しています。研究者の方向けの内容にはならないとおもいます。悪しからず。

波乱

今日は丸一日かけて新天地へと移動した。

今日は全国的に風が強く、まさに春の嵐と言うべき一日だった。
筆者はまず飛行機で地元から飛んだのだが、何とか飛びはしたもののめちゃくちゃに揺れて気分が大変悪くなった。最初揺れを舐めてかかって小説を読んでいたのも良くなかった。
その後は鉄道での移動だったのだが、途中乗ろうとしていた特急列車が強風の影響で止まってしまっていた。しばらく待っていても「復旧の目処は立っていない」というアナウンスがされるだけで、さすがにこれはやばい雰囲気だった。
しかし、就職先の担当者さんへ連絡しようとした瞬間に、何とか動き始めた。運が良かった。

大変な目にあったものの、真夜中にようやくあたらしくお世話になる街へたどり着いた。

今日はホテルに泊まり、明日の朝に入居の手続き、夜に荷物の搬入である。いよいよ新しい場所での新しい生活が始まろうとしている。

南下

札幌を後にした筆者は現在宮城にある実家に滞在している。明日、引越し先へ向かう予定である。
なお引越し先の地名については、就職先に関わる情報の特定のリスクがあるため、全ての人に公開しているこのブログには書かないことにした。ただ、宮城よりは南である。

今回実家で丸一日過ごせるのは今日だけであり、文字通り束の間の休息となった。それでも最近はあまりに多忙でかなり疲弊していた上、明日からまた忙しい日々が始まるので、一日だけでもゆっくりできたのはありがたい。
また、卒業して就職する前に両親に顔を見せられたのは良かった。

ところで、ここ2年は新型コロナの影響で実家への帰省の機会が少なかったことに加え、そもそもこの時期は毎年忙しいこともあり、春に帰省するのはおそらく4年ぶりだった。それは即ち、本州の春が4年ぶりということである。
北海道の春と本州の春は様子が結構違う。例えば最初に咲き始める花の種類とかが違う。いい機会なので、今日は2時間ほど時間を使って近所の森林公園を散策し、スプリングエフェメラルを感じるなどした。
じっと寝ていたりするのもいいが、こういうのもリフレッシュになってよかった。

明日はついに新天地への移動である。

卒業

本日、筆者は学位記を受け取り、博士後期課程を修了した。これにて筆者は理学博士である。

なお、午前中には学部や修士も含めた大学全体の卒業式があったが、筆者は部屋の退去の立ち会いがあったのでサボった。
実は学部と修士の卒業の時も式をサボっているので、3回もあった卒業式の機会を全て棒に振っていることになる。ただ、式以上に重要な案件があるのだから仕方ない。

午後、指定された時間に学位記を受け取りに行くと、学部からの同期一人と会うことができた。
彼と最初に会ったのは学部入学のガイダンスの時なので、丸々9年の付き合いになってしまった。お互いに9年という月日を確認し、その長さと短さに呆れながら笑った。

学位記を受け取った後は、研究室のメンバーや先生と写真を撮れるだけ撮った。
他の研究室のお世話になった先生や知り合いにも挨拶に行き、そこでも写真を撮ったりした。

さらに、隙間の時間にトランスクリプトーム解析の引き継ぎ資料を完成させた。
こんな日に何をしているんだと思われるかもしれないが、筆者としてもギリギリまで仕事を残してしまったことを後悔しながらの作業を強いられた。最後の最後まで研究室のために働く模範的大学院生になってしまった。
資料作成とデータのバックアップはなんとか無事完了し、ひとまず安心である。

夕方、最後の挨拶を済ませ、電車に乗って札幌を離脱した。空港に到着し、いま飛行機を待ちながらこの記事を書いている。




かくして、筆者の9年に及ぶ学生生活、6年に及ぶ研究生活は幕を閉じたのだった。




と見せかけて、月末に学会を控えているので準備と練習をしなければならない。最後の最後どころか、死してなお働くゾンビ院生みたいになってしまった。
何だか締まらないが、引退試合で変なことをしないように準備は抜かりなくやっていきたい。

何はともあれ搬出

昨日は記事を書いたあと深夜まで荷造り、今日は早朝から荷物の搬出作業に追われ、落ち着く暇が無い。ここ数日は間違いなくD論の時期より忙しい。
もっとゆったりと感傷に浸りながら最後の札幌を噛み締めたいのだが、ひたすら動き続けていてそんな余裕は無い。

さらに、今日は搬出作業中にトラブルがあった。本棚の裏側がとんでもなくカビていたのである。
一般的にイメージされるような黒ずみ様の段階は優に超越した、立体感があり、粉を吹いたカビだった。筆者はこんなやつと同棲していたのかと驚きを隠せなかった。

実は筆者は学部時代にカビを育てていた事がある。もちろん外には漏れないように厳重に管理した上である。そんな経緯もあって筆者のカビ耐性は高く、今回のやばいカビを見ても驚く程度で済んだ。
しかし、そうでない普通の人があれを見たら卒倒ものである。というか第1発見者の引越し業者さんが気の毒だ。ごめんなさい。

さすがにあの状態の本棚を使い続ける気にはなれず、搬出の予定を急遽変更し、廃棄処分することにした。
廃棄処分と言ってもサイズがでかいため燃えるゴミにぶち込む訳には行かない。また、筆者の住むエリアの粗大ゴミ回収はちょうど1週間後で、カビた本棚を玄関に1週間放置するのもバイオテロになってしまう。廃品回収業者を頼ることにしたが、この繁忙期に即日回収してくれる業者を見つけるのには苦労した。
結局、運良く夕方に業者さんに回収して貰えた。結構値段は張ったが、処分できただけありがたい。料金は勉強代だと思おう。




予期せぬ事件があったものの、何とか部屋を空っぽにすることはできた。
この部屋には2年弱しか住んでいないので特段思い入れが強い訳でもないが、それなりのコストを払っただけあっていい部屋だった。引越し先の部屋はこの部屋よりも狭くなってしまうので、リングフィットアドベンチャーをやる時などに恋しくなることがあるかもしれない。

今はホテルでようやくゆっくりできている所である。
明日はまず役所に急用ができたので早朝に訪問、午前中に退去の立ち会い、午後に卒業証書を受け取り、そして夜にはついに札幌を後にする予定である。

最終講義

今日は筆者の指導教官の先生による最終講義が開かれた。

90分の間、研究を始めた経緯からこれまでの研究成果まで余すところなく紹介された。1番最後には筆者の研究も紹介して貰えた。

40年に及ぶ研究の歴史の重み。
研究結果のインパクト。
先生の人柄。
うずべんの面白さ。
そして、少しアカデミアに足を踏み入れようとしたからこそ分かる、アカデミアで研究人生を全うするということの凄まじさ。

頭では分かっていたはずのことを改めて噛み締めさせてくれるような、そんな最終講義だった。

講義が終わり、先生には花束が贈呈された。一昨日の記事に書いた通り、花束を贈る役は筆者だった。このために筆者はスーツをバッチリキメてきた。見た目で事故みたいなことにはなっていなかったはずだ。そう信じたい。
その後写真撮影などがあり、最後の講義は終了となった。

また、今回の講義は受ける側の筆者にとっても最後の講義となった。学生生活の締めくくりをこういう感動的なイベントで迎えられたのは幸運な事である。




さて、感傷に浸っているのも束の間、明日の朝は部屋の荷物の搬出作業である。
なんと朝の8時から作業が始まることになっており、今夜は何がなんでも荷造りを終わらせる必要がある。さすがに慌ただしいが頑張るしかない。

うずべんとの別れ

うずべんの研究を始めて6年、筆者は色々な場所へサンプリングへ行ったり、知り合いのご厚意でサンプルを手に入れたりして、数多くのうずべんを手に入れてきた。ごく一部の変わりものや未記載種以外は研究に使うことはなかったものの、顕微鏡を覗いてうずべんを単離する作業そのものが好きだったので、普通種のうずべんも結構捕まえてきた。
先生が何十年もうずべんをやってきた話を昨日の記事に書いたばかりなのでしょぼく見えるが、それでも6年という歳月はちゃんと長い。

一方、筆者は集めるのが好きなだけで整理するのは嫌いである。
結果として研究室の培養庫には6年分のサンプルが蓄積していた。何年も手をつけていないものは干からびてカピカピになっていて、当然うずべんは生きていない。本当は定期的に整理・処分するべきなのだが、後回しに後回しを重ね続けた結果ついに卒業を迎えてしまった。

さすがにこのまま研究室を去るのは怠惰すぎるので、今日は要らない培養株やサンプルの処分を行った。
培養株をそのまま流しに流すと、万が一うずべんが生き残ったまま環境に放たれた場合に良くない上、うずべんが毒を生成していた場合にさらに良くないので、廃液として集めて滅菌処理(オートクレーブ)を行った。廃液は1リットルのボトル4本分にも及んだ。

なお、以前の記事にも書いたが、筆者がこれまで研究対象としてきたうずべんは「要る培養株」ということで先輩に引き継いだ。また別の形で日の目を浴びることを願う。

こうして、筆者が管理するうずべんは全て処分されるか引き継がれるかして、筆者の元を去っていった。
この6年ずっと一緒に生活してきて、うずべんのことを考えない日はちょっとしか無かっただけに、とても名残惜しい。もしかしたらもううずべんと関わる機会は一生訪れないかもしれない。ただ、うずべんと共に過ごした6年が筆者にとって何物にも代えがたい経験になったのは間違いない。

これからも心のうずべんを失わずに生きて行きたい。

定年退職

筆者の指導教官の先生の定年退職を祝う会が催された。

 

筆者の先生はこの何十年間うずべんの研究一筋でやってきた凄い先生である。研究内容も面白いし、何より変人だらけのアカデミアにおいては他に類を見ないレベルの人格者であり、筆者はこの先生に師事できたことを幸運に思っている。

筆者は先生にとって最後の学生の1人ということになるが、とりあえず先生の面目を潰すようなことをやらかさずにすんで良かった。それどころか先生は筆者の研究内容をとても評価して下さっているようなので、嬉しい限りである。

 

さて、そんな先生の退職を祝う会だが、そのお祝いのスピーチをする役の1人として筆者が抜擢された。

この話が舞い込んできたのがなんと昨日である。仕事を請け負うこと自体に問題は無いのだが、せめてもう数日早く知らせて欲しかった。もちろん先生の定年退職は心からお祝いしているのだが、スピーチをするとなると話が別である。原稿を書いて読む練習の時間も精神的な覚悟も足りない。が、何とかした。

 

今日の祝賀会はオンラインで開かれた。時代である。

先生の教え子は今や世界中で活躍しており、今回は日本以外の3カ国からも参加があった。これだと世情とか関係なくオンライン開催の方が良かったのかもしれない。参加者の中には研究室を離れて以来会っていなかった先輩などもいて、同窓会のような雰囲気も感じられた。当然、偉そうな先生方も参加していた。

スピーチをしたのは4人で、筆者はトップバッターだった。何とかなった。

それから記念品贈呈の報告などがあった後、先生以外の参加者同士で話ができるタイミングがあった。筆者は去年卒業して今はドイツで研究している先輩とずっと話していた。元気そうでよかった。

最後に先生からの挨拶があり、会は幕を閉じた。

 

 

 

 

実は先生の定年退職を祝うイベントはこれで終わりではない。明後日には先生の最終講義が予定されており、これをもって先生の研究生活にピリオドが打たれることになる。まああと1年ほどは研究室にいるらしいが。

そんな先生の最終講義だが、式の中で先生に花束を渡す役を筆者が請け負ってしまった。決まったのは今日である。いやいいんだが、出来ればもうちょっと早めに…。