運だけ研究生活

渦鞭毛藻、略して「うずべん」を研究しています。研究者の方向けの内容にはならないとおもいます。悪しからず。

面接対策

明日、就活を始めてから一発目の面接がある。
あろうことか、明日受ける企業が今のところ最も志望度が高い。普通はもっと別の企業の面接で場馴れしてから望むものなのかもしれないが、筆者にそんな時間的余裕は無かった。

ここ2日ほどは、面接でよく飛んでくるであろう質問に対して答えられるよう、考えを整理する作業を行った。面接での質問例を調べていると中々答えづらいものも多く、準備を怠る訳にはいかない。
具体的には、よくある質問例を書き出し、それに対する考えや情報をひたすら書いていった。筆者の場合、考えの整理のためにはやはり手で書き出してみるのが一番合っている。
とにかく書きまくった結果ノート4ページ分くらいになった。

小説のプロットや設定資料の作成作業ってこんな感じなのかなと思った。「筆者」という人物はこういうバックグラウンドや考え方、価値観を持ち、こういう状況になったらこういう行動を取る…というのをまとめていくのは、確かに「筆者」を表現するには絶対に必要な過程だ。

その過程で、とても悩む要素が一つあった。
「筆者」は結局どうなりたいのか。「筆者」の目指すところは何なのか。これがはっきりしない。
例えば、研究者になりたい。しかしそれは当たり前だ。大事なのは「どんな研究者になりたいか」だ。
今までは「うずべんの研究者になりたい」と答えていたが、それは「どんな研究者になりたいか」ではなく「何の研究者になりたいか」に対する回答だ。答えになっていない。そしてそもそもうずべんの研究すら続けることはもうない。
ゆえに、「筆者」という人物を規定する設定の軸がごっそり抜け落ちた状態になっている。

おそらくこれが原因でとても困るのが「尊敬する人は誰ですか」系の質問である。なぜなら、筆者の追い求める人物像が曖昧だからだ。
もちろん、すげえと思う人間はいくらでもいる。筆者が人を尊敬できないやばい人間である訳でもないと思う。しかし、誰か一人の人物像を、生きる上での目標として掲げたことが無い。
この質問への適切な回答が、何十分と考えて浮かんでこなくて自分で絶望した。

筆者は結局どうなりたいのか。
面接がどうこうではなく、普通に人として、これに答えられないのは良くないような気がしてきた。