運だけ研究生活

渦鞭毛藻、略して「うずべん」を研究しています。研究者の方向けの内容にはならないとおもいます。悪しからず。

ゲーム依存

風邪がほぼ治り、昨日論文の再投稿を終わらせ、とりあえず変な焦りに追われるような数日間が終わった。

今日はポケモンのオフ大会に参加してきた。1か月前くらいに参加申請をしていて、結構しっかりめに準備してきたやつである。
結果は準優勝だった。最終戦はあと一歩のところで負けてしまったが、非常にいい試合だったし、見ていた人に夢を届けることはできたと思う。




ゲームと言えば、最近香川県の条例で子供のゲームの時間が制限されそうになっていると話題である。

ツイッターランドの皆さんにはゲーム好きな人が多いこともあり、これに関してはほぼ反対意見しか聞かない。筆者も自分が住んでいるところにこんな条例ができたら本気で引越しを考えるだろう。
そもそもゲームの時間の制限なんてものは親の教育方針次第だと思っていた。これを条例で決めにかかるのが本当に不可解である。




さて、ゲーム制限条例反対派の意見に、「ゲームを抑圧されると将来その反動でむしろゲーム依存になる」みたいなものを見る。

実は筆者はこれの実例である。

小学校から中学校までゲームは1日○○分と決められていて、親の監視の元、タイマーまでセットしてストイックにプレイしていた。
高校進学と同時にこの制限が撤廃され、筆者はめちゃくちゃゲームをするようになった。親からはあまり良くは思われていなかっただろうが、そもそも筆者のいた部活の部室にスマブラが置いてあったので、プレイ時間なんて管理のしようがなかった。
受験期に半年ほどゲームを封印したが、受験直前に禁断症状みたいなのに悩まされた。例えばテレビで綺麗な風景の映像が流れると、その映像とモンハンのゲーム映像が脳内でリンクし、うわあモンハンやりたいとなってしまうのだった。
受験が終わって大学生になり、一人暮らしが始まると、筆者は一層ゲームをするようになった。ゲームを中心として人間関係が広がり、どんどん楽しくなった一方、逃げ場も無くなった。
そして至る現在。ご覧の通り、筆者は見事なゲーム依存である。

こうした実体験に基づくと、「ゲームを抑圧されると将来その反動でむしろゲーム依存になる」という説は非常に尤もらしく、理に適っている、ように見える。

ところで、これって本当に科学的根拠のある話なのだろうか。正直、子供のころにゲーム時間を制限されていなくても、結局ゲーマーになっていたんじゃないかという予感はある。
この説を直接支持する研究結果などは実在するのだろうか。あるならぜひ見たい。無いのなら、この説は「自分はそうだったからそうだ」というだけの一般性のない物になってしまうので、例の条例に反対するための手札としては弱くなってしまうが、どうなんだろうか。




とにかく、筆者はゲーム依存性である。しかし、今更これを治そうとは思っていない。結局、仕事とゲームの折り合いをつけて上手くやっていけばいいし、そうするしかない。