運だけ研究生活

渦鞭毛藻、略して「うずべん」を研究しています。研究者の方向けの内容にはならないとおもいます。悪しからず。

期待

昨日まで植物学会に参加していた。
筆者の発表も近い分野の聴講も学会の早い段階で終わっていたので、残りの日程は気楽なものだった。




日曜夜には懇親会が開かれた。
もちろん全てオンラインで、Zoomのブレイクアウトルームをたくさん作ってそこに話したい人と入る形式だった。個人的には昨年のSpatial chatを使った形式の方が学会らしくて好みだったが、サーバーの重さの問題などもあるだろうし、贅沢は言えない。

懇親会では藻類関連の研究をしている知り合い何人かと話すことができた。
一般企業に就職する件を話したら驚かれつつも祝って貰えた。大体の人には半年前の藻類学会でカナダにポスドクしに行く話をしていたので、根掘り葉掘り聞かれるかと思ったが、そうでもなかった。気を遣ってくれたのかもしれない。筆者としてはありがたい。

ただ、その流れで将来の藻類研究を担う若手研究者が足りないという話題にはなった。
非常に身内な話だが、若手微細藻研究者の年齢構造は少しいびつで、筆者より10歲前後歳上の世代にまとまった人数がいて、筆者と同世代に何人かいて、その間にほとんど人がいない。ここ数年で上の世代が助教などアカポスに就き始め、ちょうど筆者の世代が空いたポスドクの枠を埋めるみたいな流れになっている。
上の世代目線だと、「若手研究者が足りない」という認識らしい。故に、筆者の世代はとても期待されているようだった。
そういう話をされると、この業界を去ることに後ろめたさを感じてしまう。

思い返すと、上の世代からの期待の目線は常にあったかもしれない。学会や懇親会のような場だけでなく、研究内容について相談させてもらっている時もそうだ。それ自体は全然悪いことではなく、筆者自身期待を受けることは好きな方だ。そして、思い上がりでなければ、これまでの筆者はその期待に応えるだけのことをできていたと思う。
だから、この研究を辞めることはどうしても期待を裏切っているような気がして後ろめたさがある。まあ他の人たちはそんな事考えるなと言いそうだが。

一方で、この研究を辞めると決めたことによる体の軽さも実感している。
多分、無意識のうちに周りからの期待を重く感じていたのだろうと思う。それに応えられるだけの研究をこの先もできるか?と考えてしまった。そしてその問への答えはNoだったのだ。

いずれにせよ、筆者の進路は筆者が決めたことだ。今更どうこう言うつもりはない。